読書地獄あるいは積本の栄え

ただの読書感想文

そんなにいい親友はなかなかいない

少し前に罪と罰(ドストエフスキー/江川訳,岩波書店)を再読しました。

再読と言っても前回読んだのは新潮社から出てる工藤さん訳で、今回読んだのは岩波書店から出てる江川さん訳なので少し違うのかも知れない。というのも、前回読んだのがもうかなり前のことで正直今回読んだときもこんな流れだったっけ?とうろ覚えの部分も多く比較は出来ない。

しかし、今回読んでて前回の印象以上に読みやすかったというのが最初の感想だった。これは別に工藤訳が読みにくかったというわけではなく、江川訳では注釈で当時のロシアの社会情勢や聖書から引いてるところ、ドストエフスキーの私生活の反映が事細かく書いてあることも読みやすさに起因してるが、それ以上に活字慣れしたことやある程度の人生経験を積んで登場人物の感情の機微を感じ取れるようになったことが大きいと思う。

それで内容についての感想として、主人公のロジオンの罪を犯した時の必死さ、その後の自分のしたことあるいは捕まるかもしれない恐怖、焦り、そして正当化。この心情の流れはやっぱり絶品だった。

中盤以降に出てくる彼の罪を犯す権利がある人間とそうでない人間についての考えも面白いけど、実際それが正しいのかと言うとそんなことはなくて。彼は傲慢でもなんでもなくて、誰よりも自己肯定感が低い人間だったと思うし、それは彼一人では気づけなかったことなんだと思う。

それにしても、「罪と罰」に出てくる人達はいい人が多い。タイトルの親友こと、ラズミーヒンは大学生の時の友人でロジオンが1人狂ってひどく当たってきて喧嘩しても、その後も心配で様子を見に来たり引き戻そうとしてくれて、こんなに友達、しかも発狂しかけてる友のために頑張れる人はなかなかいないよ。でも、それもロジオンの本質的な優しさや孤独を理解していた故の信頼なのかな。

あと、もう1人、スヴィドリガイロフについても。彼の場合、いやらしくてしたたかな人間のようにもみえる。けど、ロジオンとは対になる人物で、どこまでも傲慢で孤独だったからロジオンがしなかった決断をしたのだと。彼の意義はきっとここにあると思う。

 

つらつらと書き続けてきたけど、京極さんも小説内で言ってたように批評も感想文も一つの作品でしかなくて、結局は実際に手を取って読んでみないと本当の感想は分からないので。ただ1人の感想文であることをお忘れなく…。

おわり